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平家一門の素晴らしさ、温かさ、優しさ

平家一門というと皆さんのイメージはどうでしょうか。戦前は足利尊氏と並んで平清盛公は朝廷を牛耳ったと言うことで悪く描かれることが多かったです。戦後もその影響が残り、平家というと悪というイメージ、また武士なのに貴族化したということで良いイメージはありませんでした。それでも、八百年間語り継がれ、日本人の心の琴線に触れ続けてきた平家物語の主人公たちであり、多くの人に愛されてきたのも事実です。
平成17年の大河ドラマ「義経」が放送されたときに、多くの人が平家の人たちの優しさや素晴らしさに触れたのではないでしょうか。また、宮島が台風に襲われ、厳島神社が壊れたとき、勧進の意味もあって、厳島神社の国宝や名宝が奈良や東京を巡った時、その美しさに触れ、平家一門の文化レベルの高さ、雅さを思った方も多いのではないでしょうか。
私が平家とであったのは中学校時代の国語の教科書でした。敦盛最期の文章、日本語の美しさに触れ、物語に感動したことを今も忘れません。以来、たくさんの平家に関する資料を読んでいくうち、物語に描かれる平家一門が大好きになりました。平家一門は滅亡のその時まで、苦しい生活に耐え、一門の結束力で、都への帰還を信じ頑張りました。親が子を愛し、子が親を愛し、家族や一門、家臣たちを愛し、大事にしました。人の痛みのわかる心の優しい人たちでした。日本の合戦史上、妻子や眷属をすべて連れて戦い続けたのはこの平家一門だけです。後の戦では城に婦女子は残るというのが普通ですから、本当に凄いことです。小さな安徳天皇から清盛公の妻二位の尼、兄弟たちも含め、三世代の人たちが血縁のつながりを何よりも大事にして、戦い続け、狭い船の中で苦楽をともにしました。今、家族の形、あり方がとり立たされる中で、平家一門の家族愛、一門の結束力は改めて素晴らしいものだったことがわかると思います。そして、見習うところがたくさんあると思います。もちろん、途中頼盛殿のように裏切りもありましたが、頼盛殿でさえ平家のことをいつも気にかけているのは事実ですし、頼盛殿の家臣で源頼朝を平治の乱後に救った武将は最後まで自分は平家であるといい、頼朝に会いませんでした。平家の人たちは誇りも失っていなかったのです。
平家は歴史的に見れば戦に破れました。壇ノ浦の合戦で破れ、波の底の都へと旅立っていきました。それでも、日本全国に平家は落人となって落ちていきました。そして、現在にまで生き続ける平家伝説の地は全国に散在しています。必ずその地には平家の名だたる人物が生きて落ち延び現在に言われます。宮崎県の椎葉も熊本の五家荘も、四国の祖谷渓、日光の湯西川などあげればきりがありません。このことは平家が家族を大事にし、家族で落ちていったために子孫が残り、伝承も残ったということ。また、平家が当時の人々に愛されていて、落ちていった先で匿われたことも事実です。そして、一方の源氏は頼朝が鎌倉幕府を開いたものの、その後は一族で殺し合い、子の実朝が甥の公暁に殺され、源氏は三代で絶えてしまいました。もちろん、源氏の落人村もなく、源氏は一族を根絶やしにしました。その後、日本歴史は源平交換論といわれるように、平氏の北条家、源氏の足利家、平氏の織田信長、豊臣秀吉、源氏の徳川家へと移っていきました。現代はというと、私は日本の高度成長期は源氏の時代だったと思います。戦後の焼け野原から私たちがこれほどまでに豊かに暮らせるのは戦後の人たちが本当に家族を省みる暇もないほどに仕事にいそしんでくださったおかげでもあります。しかし、高度成長期が終わり、物質面での豊かさが満ち足りたとき、精神面の豊かさが始めて問題になりました。戦前は道徳や修身といった教育もあり、武士道精神も生きていて、貧しく、貧富の差も大きかったにもかかわらず、心が豊かで、諸外国の人たちからも敬意を示されるほどでした。もちろん、功罪はありますが。現在は心の時代を迎えたと思います。だからこそ、平家が生きるではないかと思います。平家は戦に敗れ、最後は無常の中で散っていきました。しかし、現在まで物語は語り継がれ、多くの文化を残しました。正盛、忠盛、清盛公の三代で築きあげた繁栄を清盛の兄弟、子どもたち、孫たちは享受し、幸せな日々を送りました。しかし、一転して、都を追われ、西国に落ち延び、最後は壇ノ浦で滅亡しました。当時のすべての人が、敵であった頼朝でさえ、信じられなかったのが平家の滅亡でした。誰も納得のいく回答が得られなかった中で、出された答えは仏教の因果応報の言葉、平家物語の出だしの「祇園精舎」でした。現在もバブルがあり、今があります。その中で、人はいろいろと心を問題にするようになりました。平家の人たちもそうでした。悩み、苦しみ、清盛の嫡孫維盛は那智で入水し、同じく孫の清経も九州の柳ヶ浦で入水しました。平家の人たちは人として、優しく弱さも持っていた人たちなのです。だからこそ、愛されるのだと思います。
私は平家一門が大好きです。戦に敗れはしたものの、厳島神社、平家納経、音頭の瀬戸、神戸港(福原)、京都の六波羅など驚くべき文化を残しました。そして、現在では平家も見直され、特に清盛公は偉大な政治家でその文化や政治力は日本史上希代の人であったといわれます。人は弱いものだと思います。だからこそ、家族や多くの人たちと一緒に生きていかなければなりません。平家の人たちはそれを教えてくれているように思いますし、八百年経った今も厳島神社や平家納経など平家の残した素晴らしい文化は私たちの目を楽しませてくれますし、神戸は国際港として発展し、全国の平家伝説の残る土地では平家を慕い、今でもお祭りなどが営まれています。平家は今も多くの人たちによって、生かされまた生き続けているのです。
平成十九年も平家の語りや講義を通して、平家一門の優しさや素晴らしさを伝えていくことができればと思います。そして、心が温かくなる語りを皆さんに届けていきたいと思います。平家とともに今年も歩んでいき、多くの人たちとご縁ができることを楽しみにしています。

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