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優しい平家の嫡流「平三位中将維盛」

平維盛は平清盛の孫にして、平重盛の息子である。つまり、維盛は平家の嫡嫡である。祖父清盛は人臣最高の位太政大臣となり、平家一門の絶頂期を築き、父重盛は小松内府と呼ばれ、父清盛を諌め、朝廷への忠を尽くした一門の期待の人であった。その子維盛も誰もが認める平家の貴公子として将来を約束された存在であった。維盛は若い頃から、その貴公子振りを謳われ、あたかもこの世の光源氏のようであった。そんな貴公子維盛を突然の悲劇が襲う。父重盛が祖父清盛に先立って、この世を去った。四十代の男盛りのあまりに早すぎる死であった。さらに、その時期後白河院と清盛の対立は抜き差しならないところまで来ており、その危ういバランスをかろうじて維持できたのは重盛がいたからであった。清盛も平治の乱など平氏隆盛期をともに築いてきて、朝廷工作などにも秀でた重盛には一目を置き、平家の棟梁は正妻の子ではないが重盛と決めていた。その重盛がいうことは例えどんなに腹立たしいことでも、聞き頼りにしていた。その重盛が死んでしまった。時運はすでに平家から離れていっていた。反平氏の気運が高まる中、清盛は重盛の後を継ぐ平家の棟梁をたてねばならなかった。本来なら嫡摘の維盛だが、いかんせん若すぎる。平時なら、維盛でもよいが今の時期はと考えたら、正妻時子の子で重盛の弟宗盛を棟梁にするしかなかった。この選択が維盛にとっては、不幸の始まりとなる。しかし、清盛は宗盛をこのとき末まで平家の棟梁と考えていただろうか。富士川の戦いの際、平家の総大将は維盛であり、清盛は維盛成長の暁には一門の棟梁と考えていたのではないだろうか。清盛は宗盛が大将にふさわしくないのを知っていたのだから。しかし、維盛はそんな清盛の期待を知らなかったのだろうか。富士川では水鳥の羽音を聞いて、戦わずして逃げる始末。若さに頼んだ維盛が有力武将の静止を振り切り進撃したための悲劇ともいわれる。この戦いの敗戦により清盛は激怒し、維盛への評価は下がった。しかし、清盛がいる間は重盛の子である維盛への風当たりはよかった。その清盛が死ぬと、小松内府の一族は平家本流となった宗盛を中心とする平家一門から冷たい目で見られることとなる。都落ちに際して、後白河院は約束を破って逃亡した。平家一門は後白河院を恨み、それに近い者も恨んだ。生前の重盛が後白河院寄りであったため、小松内府の一族は後白河院寄りであり、和平交渉を望んだため、主戦派であった平家一門主流の人々から裏切るのではないかという冷たい視線で見られるようになった。中でも、維盛は平家の嫡嫡でありながら、都落ちに際して、妻子を都に置いて落ちてきた。維盛都落ちは妻子との別れを惜しむ維盛やその幼い子供たちの姿が描かれ、涙を誘う。残された子が後に六代御前と呼ばれる平家最後の人である。維盛の弟たちも兄の都落ちが遅いの心配して、戻りその光景を目の当たりにして涙を流す。一門の多くが妻子を伴っているのに置いていく維盛を一門の人々は驚きあきれただろうが、当の維盛は妻子にこれ以後の辛い目を見せたくないという心優しい気持ちからの思いであって、人から中傷される覚えはなかっただろう。なぜなら、つれていくより、置いていくほうが身が裂かれるような思いであり辛いのだから。このような確執と冷たい視線の中、維盛はよく堪えた。しかし、維盛も自分自身が許せなくなる自体が起こった。一の谷の戦いに参加できなかったのだ。病のため屋島に残っていた。そこに、平家軍壊滅の知らせ、一門の方も多く討たれたと聞き、絶望と同時に自分への怒りが込み上げてきただろう。そして、維盛は何かに取り付かれたように屋島の陣所を抜け出し、高野山へと向かう。歴史的には維盛はある程度の軍を持って、平家に見切りをつけて、陣を去ったとするものもある。後白河院とのつながり、小松内府の一族が独自性、筑後守貞能の動向、貴族の日記などを考えればそのように考えられる。しかし、ここでは平家物語のいうことを信じたいし、そうあってほしい。維盛には平家を裏切って欲しくない。屋島を抜け出した維盛は父重盛の旧知滝口入道と出会い、その最期を迎えることとなる。かつて、那智の滝の前で踊った維盛の姿を見たこのある人が今の変わり果てた維盛を見て、嘆かずにいられなかったという。光源氏とも言われた維盛の顔には憔悴の色が浮かび、花を散らしたような美しい姿を見ることはもうできなかった。滝口入道に伴われ入水自殺を遂げようとはするものの、妻子への思いが強く容易に入水することはできない。このあたりは父重盛が神のような人であり、自分の命を縮めても父を救って欲しいと祈ったのとは違い、維盛の方はとても人間らしくて、妻子への愛情がこまやかに感じられ、共感を覚える。滝口入道も維盛の姿を見て、入水を進めがたく思ったが、自分が今しっかりしなければと思い直し、維盛を説得する。維盛が完全に納得したとは思えないが、仏教色の強い平家物語では、最後には得心して入水する。先帝入水も涙を誘う素晴らしいものだが、維盛入水は人間の本質をよく捉えていて感動する。維盛の死を覚悟しても、妻子が邪魔をし、仏教で諭され、頭でもわかっているのに、踏み切れないその姿がまさに人間の本質なのであり、完全に納得の死などはないのではないだろうか。それでも死を選ばねばならない人間維盛、それに思いをはすと無常を感じずにはいられない。維盛の人生はまさに平家物語の冒頭と重ね合わせることができ、同時にこの時代の安徳天皇などと並び最大の被害者であったのかもしれない。

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