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一門の大黒柱「平大相国清盛公」

平成14年にホームページを始めた時に、平家一門のことを書きました

久々にブログにも掲載することにしました

平清盛といえば、武士として最初に太政大臣となり、平家一門の繁栄と滅亡をもたらした人物として知られる。清盛のイメージは源頼朝などと比べると非常に悪く、悪人という面が強く語られている。しかし、私にとって平清盛は歴史上最も好きな人物であり、人間的にも素晴らし人物だと思っています。歴史は勝者が作るもので、敗者は大抵悪くかかれます。平清盛は幕府を開いた源氏からすれば父祖の敵であり、最も恨めしい人物です。だから、悪く書かれるのも当然です。しかし、私の考える清盛は違います。清盛は若い頃、大変に気を使う優しい人であったといわれます。貴族政治の中で武士がまだ軽んじられていた時代に生れた清盛は父祖から継いだ平家一門の繁栄だけを願っており、そのために狡猾な貴族たちに、ライバルの源氏に負けないようにと必死であった。この中で、清盛は優しさだけでなく、生きるための冷酷さを学んでいった。しかし、清盛は変わっていなかった。保元・平治の乱で勝利の際には、頼朝や源氏の幼子を助ける。そして、何よりも清盛が素晴らしいのは、一門、家族を大事にしたことです。当時、一族で殺し合いをする時代に平家一門は西海の波の底に沈むその日まで、ほとんど裏切る一門はおらず、皆が運命をともにした。これは、清盛が生前家族や一門を大事にしてきたことが平家一門の結束力を不動にした結果である。現在家族や親戚の関係が希薄になっているというが、平家物語を読み、平家一門の血のつながった者を大事にする姿に触れれば、家族の絆がいかに強く、素晴らしい物かを知ることができるのではないだろうか。最終的に、平家が滅んだ理由はこの清盛の優しさと家族や一門を愛しすぎたけからであろう。最後まで、後白河院を信用したり、五男の重衝が南都を焼き討ちにした際もその罪を自分で背負ったり、また誰よりも愛していた嫡男の重盛を失ったその反動で暴挙に出るなど、清盛は本当に人が良い。この人の良さは、平家一門すべてに見られる。源氏には見られない。源氏は一族で殺しすぎる。平家は違う。そして、これほどまでに人間的な集団を作り上げた清盛自身、本当に人間的な素晴らしい人物であったのだろう。平家物語でも清盛は上人の生まれ変わりとするところもある。平清盛、この人を考える時に、頭ごなしに悪人と考えるのではなく、このあまりにも人間くさい側面や、優しさ、家族愛などを考慮して見てほしく思います。清盛はあっち死にをするわけだが、これは焼き討ちの報いだという。清盛にとって、死や天罰は恐れるものではなく、何よりも気にかかり、恐ろしかったのは一門の行く末であったろう。清盛は熱にうなされる中で、おそらく一門が滅亡するであろうことはわかっていただろう。何よりも大事に思っていた平家一門が滅び行く姿を夢でおそらく見ていた清盛にとって、最期にいう言葉は、「頼朝の首をわが墓前に」であった。心優しい清盛にとって、命を助けてやったものや今まで恩をかけてきたものが叛くことは、信じられないことであったろう。平清盛、強くて弱い。この人間的な部分が私を惹きつけて止まないものにしている。

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