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優しい父親で総大将「平内大臣宗盛」

平宗盛は平清盛の三男で、清盛亡き後、平家一門の総帥となり、一門の滅亡となった壇ノ浦合戦まで平家一門を率いた人物である。平宗盛というと、父清盛、兄重盛、弟である知盛、重衡などと比較され、平家一門の滅亡を招いた無能の主君であり、壇ノ浦でも捕われ命乞いをする姿から、評価は大変に低く、非難されることの多い人物である。確かに、宗盛は武将として、平家一門の総帥としては、向かないし、その任に堪えうる能力も持ち合わせていなかっただろう。しかし、人間宗盛は他のどんな人物よりも優しく、素晴らしいい人物であり、世が世なら、人から羨まれるほどの人物であったかもしれない。平宗盛は清盛の三男で、その兄には誰一人悪口を言うものもないほどの聖人のような重盛がいた。誰もが清盛のあとは重盛であり、父清盛に諌言できる唯一の人物重盛は平家、当時の貴族達の期待を一身に集めていた。しかし、重盛は清盛より先にこの世を去り、平家一門の総帥の座が急に宗盛に回ってきた。当時は親兄弟でも殺しあう世の中、一門の総帥の座が自分にきたら、本来はとても嬉しいいことである。ただ、宗盛は嬉しく思っただろうか。妻が死んだら、嘆き悲しみ、出仕もやめてしまう心の優しいい人物、妻が最期に子・副将を誰にも預けずに育てて欲しいと頼むと、それを忠実に守り、最期まで、手元から離さず育てる、家族愛に満ちた人物、平宗盛が総帥の座を喜ぶだろうか。現状維持を何より愛しただろう。また、人間宗盛の魅力は人を信じつづけるけなげな姿である。現代の我々にとって、人を信じつづけるのは難しい。どこかで、人を疑ってみてしまう。しかし、宗盛は違う。都落ちの際も、一の谷の戦いの際も後白河法皇の言葉を信じつづける。都落ちの際、一門の平頼盛が都に引き返した際も、追わせなかった。田口教能が裏切ると忠告されても、殺そうとはしなかった。武士の棟梁としては失格だが、人間としては、優しく、本当に憎めない人物である。宗盛の身になれば、人がどうして裏切るのかわからないし、認めたくなかったのだろう。そして、宗盛の後世最大の非難を浴びたのは、壇ノ浦の戦いで、安徳天皇はじめ、一門の多くが入水、自刃しているのにもかかわらず、総帥でありながら、生き延び、敵に捕われ、頼朝の前では命乞いまでする。他の一門の者とも比較され、宗盛は非難を一身に受けてきた。しかし、壇ノ浦でも、息子清宗かわいさに死ぬことをためらっているように見え、家族への強い執着、愛情が宗盛を生へと駆り立てた。この行動は武士としては確かに醜いと思うかもしれないが、家族を守るというのも立派な行為であり、一概に非難はできない。このように考えると平宗盛は完璧な人間である重盛よりも親しみやすく、家族が揺らぐ現代には宗盛の生き方から学ぶべきものは多いのではないだろうか。確かに、宗盛には仲綱とのいざこざもあり、これが反平家の契機ともなったといわれるが、これは勝者が歴史を書くために起こることで、宗盛が悪とは一概にいえない。 人間平宗盛は人間的で、優しく、家族を大事にする魅力ある人物のように私は感じる。源氏はこれとは逆で、一族で殺し合い、わずか三代で滅亡してしまうことを考えると、滅亡はしてしまったが、最期まで、家族や一門が仲良くいられることのほうが幸福のように感じられる。

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